自殺未遂失敗した25歳の壮絶過去

自殺未遂を経験するまでの壮絶な過去を綴ります。誰かの役に立てられれば幸いです。

壊れてしまった信頼関係と身体の異変が心に与えた影響は…

突発性側弯症になってさらに執着した「普通であること」

中学に入る時に、「普通に来ているのにスカートの丈が左右で違う。」ということに気付き、整骨院に行った。

紹介状を渡され、専門の医者に行ったところ、突発性側弯症と診断された。

 

 

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幸い手術までは至らなかったが、中学校3年間、石膏で作ったコルセットを付けて生活するよう言われた。

コルセットは胸から腰に掛けて作られた固い性質のものであり、とても隠し通せるものではなかった。

授業の終礼でお辞儀をすると、コルセットの先端が制服の上からわかってしまって、友達に「なにそれ?」と言われることも多かった。

 

体育の授業では、毎回着替えの時に周りの子に見えないように着替えていたし、着替えをみんなと同じ速さで終わらせることが困難だった。

 

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体育の先生は、「無理しなくていいよ。少し遅刻しても大丈夫だから。」と言ってくれていたが、『みんなと同じ』が良かった。

普通であることに固執していた。

 

隠す気はなかったが、

私の病気のことを話したところで誰がうれしい気持ちになるだろう?

誰の得になるだろう?

どうにもならないし、誰もいい気持ちにならないなら話す必要もない。」

と思っていた。

 

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本当はすごく面倒くさかったし、煩わしかったし、嫌だった。

同じ病気を検索したが、あまり見つからなかったのもまた悲しかった。

なぜ私が?こんな病気に?という思いが強かった。

 

 

家庭環境の普通じゃない状況と相まって、さらに「普通」に執着するようになった

悲観的になっても仕方がないので、気持ちに蓋をしていたように思う。

 

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★信頼関係が壊れて地に落ちた心

 

中3になって、なぜか真面目になった。

受験を控えていたこともあり、「真面目の方が得だ」と思い始めた。

今思うとここの方向転換は自分でも謎のままである、、、。

 

 

そんな矢先、人生で2度目の友達の裏切りに遭う。

 

 

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友達B子が、私が好きだった1つ上の先輩と

隠れて付き合っていたという。

一番仲の良かった子なので、私は何も知らずにあけすけに話していた。

 

 

先輩が卒業する日に、先輩に

「第二ボタンください」

と言うと、

「第二ボタンはあげたい子がいるから第三ボタンでいい?」

といわれ、高望みもしていなかったのでうれしい気持ちでもらった。

 

後日、他の友達C子.D子から、

「本当はね、第二ボタン、B子がもらったんだよ。聞いてるこっちがうんざりするぐらい嬉しそうに自慢してきたよ。」

と聞いた。

素直にショックだった。

何も言ってくれなかったこと、陰で私のことを嘲笑っていたこと。

 

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正直にその子に

「話がしたい」

と言った。

 

結局電話で話をした。

ショックだった件について話してくれた友達C子.D子からは、

「私たちが言ったってB子に言わないでね」

と言われていたので、名前は伏せて事実を確認した。

 

今思えば倫理的配慮をしていた私偉いな。(⌒∇⌒)

 

電話では、B子が泣いて謝ってくれたので一応許したかったが、心の整理が追い付かなかったので、少し距離を置きたいとだけ伝えた。

 

 

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ここで想像もできない緊急事態が起こる、、、。

 

 

次の日学校に行くと、私一人だけハブられていた。

周りの雰囲気が昨日とは全く違った。

 

 

どうやら私を裏切ったB子は、私との電話が終わった後、泣きながら他の男の子に電話をしてあることないこと言っていたらしい。

その電話を受けた男の子がまた影響力のある男の子だったので、噂が一瞬で広まったと。

 

噂の内容がこちら⇓

「とりあえずまこちゃんは最低。

「一番仲の良い子のB子に暴言はいて泣かせた。」

 

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メールでもいろんな人から「死ね」とか「謝れ」とかたくさん言われた。

 

さすがにここまで噂が広まってしまっては打つ手なしだと判断し、私は黙秘し続けた

「私が真実を知っているから大丈夫。」

必死でそう思っていた。

 

 

 

だた一番しんどかったのは、私を裏切った彼女が泣きながら電話したのが、当時私の好きな男の子であったことだった。

好きな人から毎日

 

「死ね」

「お前が悪い」

「お前はゴミだ」

 

等、メールが来るのはさすがに堪えた。

 

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つらかった。

誰も味方がいなくて、多分今から全てを話しても誰も信じてくれないだろうという状況が。

 

ハブにされて3か月くらいたった頃、

一人だけ、「まこちゃんはそんなことしないよね?」と言ってくれた女の子がいた。

素直に嬉しくて、すべて話した。

 

 

その子から、

「とりあえず、好きな人からそんなメールが来るのはつらいだろうから、私がその男の子に全部話してあげるよ!」

と言われた。

 

私は好きな人を信頼している友達に取られた惨めさと、もうひっくり返せない状況を考えて、「あなたさえ分かっていてくれればそれでいいよ」と伝えた。

 

 

 

 

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次回は、、、「高校3年で祖父が死にさらに心の闇が広がった結果…

A子のいじめになりふり構わない攻防を繰り返したら体に驚きの結果がでた

★異性関係を利用していじめた中学生時代

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中学1年生。

以前から仲の良かった幼馴染がいた。

クラスのA子が私と幼馴染のところに入ってきて3人グループになった。

そのうち、A子と私で幼馴染の取り合いが始まった。

 

 

 

幼馴染は断ることができないタイプで、一見サバサバに見えてとてもナイーブな子であったため、本当は私ではなくその子といたかったのかもしれない。

ただ、「私はあなたといたいのに、、、」と言ってくれたことがあったので、その言葉を信じていた。

 

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次第にA子の私に対するいやがらせがエスカレートしてきた。

 

「(私の名前)と友達にならない方がいいよ」

「自分の顔可愛いと思ってんのかよ」

 

などなど、あからさまに攻撃されていた。

 

 

 

だいぶいじめられたが、いじめあってもいた。

 

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負けず嫌いでいじめられているのが気に食わなかった私は、A子の好きな男子を、察知してその男子と仲良くなった。

幸い仲良くなる技術に長けていたので、「いじめられてかわいそうな私」を演じて男子陣を味方につけた。

 

 

 

大変姑息な手だが、女子全員がA子についてしまったので致し方なかった。

さらに、A子好きになった男子が変わるごとに、私はその男子と仲良くなったり、付き合ったりしていた。

 

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男子の気持ちなぞどうでもよかった。

私のプライドが保たれればそれで良かった。

 

 

中学生特有の、付き合っている人は勝ち組という価値観から、勝ち組になりたかったのかもしれない。

 

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この頃クラスには携帯を保持している生徒が多く、私は父の携帯を使って友達とやり取りをしていた。 

 

母が私と友達の攻撃的な言葉を使ったやり取りを見て、「A子がこのメール見たらどう思うか考えている?」と言及したこともあった。

 

私は「勝手にメール見ないで。」と反発した。 

 

 

 

 

★「30分歩いたら死ぬ」と言われたストレス性全身湿疹

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中学2年生の頃、全身に湿疹が出来た。

歩いて登下校をしたら、急に倒れる可能性もあると言われた。

塗り薬を服用していたが、授業中もかゆくて耐えられないほどであった。

 

 

それでも毎日学校は行った。周りの子たちに、自分のいないときに悪口を言われるのが怖かった。

何よりもその機会を減らしておきたくて、登校していた。

 

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新採の担任に「大丈夫か?心配なんだよ。」と言われたこともあった。

弱音を吐きたくないというプライドからか、「何が?」とだけ返した。

とにかく何もかもがうざかった。

 

 

 

 

次回、、、「普通じゃない身体と友人関係による信頼の欠如」

毒担任に人格否定されて母をかばった小学校時代

★毒担任による頭ごなしの批判

 

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小学5年生の時は、担任の先生と相性が悪く、反発的な行動が増えた。

先生は頭ごなしに私のことを批判してきた。

ほかの先生も含め、誰一人として、「何かあった?お家で眠れていないのかな」とは聞いてくれなかった。

行動面のみを見て、ただ叱る。

 

 

 

「あの行為はだめだったよな、わかるか?」

わたしは訳が分からずに何も応えず、ただ泣いていた。

 

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ようやく自分の家庭が普通ではないことに気づかざるを得なくなってきた。

自分の家庭への怒りや悲しみを、誰にも言えないことがつらかった。

言ってはいけないことだと思っていた。

 

ちなみに私は担任からの個別指導の多さにうんざりしていたが、

周りの子からは、あの子だけ先生に気にいられている。気にかけてもらっている。と思われていたらしい。

 

 

 

小学6年生、褒めるのが上手な先生が担任になった。

 

 

その先生は私のことをほめちぎってくれたし、学力も認めてくれたため、成績もものすごく良くなって、問題行動もある程度落ち着いた。

 

クラス内は派手な子が多く、意見をはっきりと言える子が多かったため、おしゃべりで攻撃性の高い私には居心地が良く感じられたのかもしれない。

 

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★お母さんに対する周りからの評価を気にする毎日

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お母さんを守りたかった。

お母さんが学校から否定されること、親戚から責められること、祖母から心無い言葉を言われる機会を少しでも減らしたかった。

 

父は母によく言っていた。

「お前は親戚中みんなから嫌われている。」

 

 

母は私によく言っていた。

「私がこんなんだからだめなんだよね。ごめんねこんなお母さんで。お母さんだめだね。」

 

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私がいい子になれば、お母さんが誰かに責められることなく、褒めてもらえるだろうと思った。

お母さんのために、いい子でいなければならないと思った。

義務というよりも、私の願望だったと思う。

 

みんな聞いて、お母さんこんなに頑張っているんだよ。

もうこれ以上お母さんのこと責めないであげて。

 

 

 

 

お母さん壊れちゃうよ。

 

 

 

 

 

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次回は、、、「いじめに対するなりふり構わない攻防」

DVが原因で友達関係が崩れ小4で始まったリストカット

★友達に対する攻撃(支配欲・優越感)

 

 

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一番仲がいい子からの裏切り。

 

ある日先生に呼ばれて、「あの子はお前が怖いから一緒にいると言っていたぞ」と言われた。

 

 

確かにその子がビビっている姿を見るのが何とも言えない優越感や独占欲、支配欲で満たされていたので、実際そうだったのだと思う。相当攻撃性が顕著に表れていた。

しかし、本当に怖がっているとは思っていなかったので、当時の私にはショックであった。

 

自分の思い通りになる人間が欲しかった。

あと、自分と同じように苦しむ人間を見たかった。

 

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また、他のクラスの子と「〇〇をいじめよう。いじめ計画を立てよう」と相談していたこともあった。

楽しくてしょうがなかった。

 

 

相手が顔を歪める瞬間がたまらない快感だった。

 

 

 

精神的に追い込み、苦しい思いを味わわせたかった。

 

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★家庭崩壊から始まったリストカット自傷行為

 

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幼少期から、怒られたり悔しかったりすると、自傷行為を起こす癖があった。

舌を噛んで血が出たこともあった。

指に爪を食い込ませて、15年ほど経った今でも消えない跡がある。

 

 

小学校4年生頃からリストカットが始まる。

引き金は毎回両親の喧嘩であった。

 

 

 

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自分自身が怒られた時や、責められたときにリストカットをすることはなかった。

自分にはどうしようもない大きな問題を、抱えきれなくて痛みで何もかも忘れたかった。

 

 

 

 

「これは普通の家庭にあること」

みんなこんな苦しい思いをしながら頑張って生きているんだ

カンボジアの子に比べれば、雨風しのげる屋根と壁があるだけでありがたいと思わなければならない。」

「お母さんがあんなにつらそうなのに、お父さんはなんでそんなに悪口を浴びせ続けられるの?」

「私には何もできない、お母さんごめんね。」

 

 

そんな思いが頭の中にぱんぱんに詰まっていた。

 

 

 

あと、血を見るのが好きだった。

流れていく血を見て、「ああ、私頑張って生きているなあ」という実感を得ていた。

 

 

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お母さんもお父さんも、喧嘩ばっかりしていたから、私の存在覚えていてくれているかな?と不安になることはよくあった

というか、常にそうだった。

 

私たち子どもは、彼らの世界に存在していないかのようだった。

もっと構ってほしかった。

 

 

ただ、彼らが自分たちのことに必死になって生きているのも理解せざるを得なかった。

お父さんも頑張っている。

お母さんも頑張っている。

誰も悪くない。

 

 

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だけど。

私のことも見て、私ここにいるよ。

私ちゃんと存在しているよね?

私生きているよね?

まだ死んでいないよね?

 

私は誰の世界で誰と共に生きているのか、わからなかった。

誰も私のことを必要としていると思えなかった。

 

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というか、存在していていいのか不安で仕方なかった。

 

 

 

 

 

次回は、、、「毒担任による絶望的な指導」

毒親によって愛着障害になり学校でいじめの主犯になった話

★母と上手に築けなかった愛情

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昔からほぼ毎日悪夢を見ていたため、夜中起きることもあれば、いったん起きると夢の続きを見たくなくて眠れないこともよくあった。

眠れない日が続いて、母の隣で寝たいと言ったことがある。

 

 

しかし「あんたと寝ると悪いものが寄ってくるから嫌なのよ!一人で寝なさい」と言われ、自室へ追い返されてしまった。

 

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母の部屋の前にある廊下で、タオルケット一枚で泣きながら寝ることもよくあった。

母は第6感が優れており、心霊現象が起きやすい人であった。さらに、私と一緒に寝たときは必ず嫌な霊が寄ってくるのだと言っていた。

それはしょうがないことだとわかってはいた。頭では理解できていた。

しかし、心の中では整理がつかないことも多くあった。

 

 

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母は余裕がないことが多く、また私が甘えん坊だったこともあり、話しかけても「話しかけないで」と言われたり、肌が触れたりすると振り払うことがあった。

肌が触れると基本振り払われていた。末端冷え性も嫌だったみたいだ。

 

 

心理的ネグレクトと言っても過言ではない状況だった。

 

何にもしてくれなかったとは言わない。頑張ってくれているのも分かったから。

でも、子どもとしては、ただ抱きしめてほしかった。ただ「そっか、つらいね」と言ってほしかった。

 

 

母がよく口にしていた言葉は、今でも鮮明に覚えている。

 

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あんたは人を嫌な気持ちにさせることしかできない!

「人に迷惑ばっかりかける」

「好むと好まざるに関わらず私はあんたに振り回されている」

「いつからそんな子になったの?」

その目は何?その反抗的な目は。

「私の言うことは何でも聞きたくないんだもんね。」

 

 

 

その通りなのだなあ、と受け入れるしか方法を知らなかった。

 

 

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こんな娘でごめん、産まれてきてごめん。

「お母さんを嫌な気持ちにしかできなくてごめん。」

「嫌われるようなことしかできなくてごめん。」

「嫌われたいわけじゃないのにどうしてうまく出来ないのだろう」

「こんな子嫌いになって当然だよね。」

消えたい。

「お母さんは私が死んだら悲しむだろうけど、私ももう頑張れない。お母さんが分からない。

 

 

 

お母さんのことが好きだった。すごく。

抱きしめてほしかった。

どうすればお母さんに好きになってもらえるのかずっと考えながら生活していた。

いい子でいなくては。

勉強ができなければ。お友達と仲良くしなければ。

先生に好かれなくては。

 

 

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 ★「いじめの加害者」

家庭環境による眠れない日が続く中、私は学校生活でも荒れだした。

 

小学校5年生のころ、同じ学級に軽い発達障害の女の子がいた。

私は成績もそこそこで、学級委員をやるタイプだったためか、彼女の面倒を見てあげる機会が多かった。

 

それが実際ストレスだった。

「あの子がすると褒められることが、なぜ私がすると褒めてもらえないのだろう?」

と常に不思議であった。

 

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ある日、私は彼女のお絵描き帳を盗んだ。

私がもともと持っていた葛藤に気づいてくれることもなく、指導は終わった。

 

悔しかった。

私がものすごく努力して出来たことでも、すでにできる子のレッテルがあるから、出来て当然だった。

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私にとっては周りのみんなが普通にできることが難なく出来ないことが多かった。

難なく出来ているように見せるので必死だったように思う。

 

 

その頃の目標は「君って幸せそうだし悩みもなさそうだよね」と言われることだった。

 

 

 

 

次回は、、、「上手く行かない友人関係から始まったリストカット

DVの目撃によって小学校時代が夜の生活が…

★家庭内DVの目撃

両親は毎日大きな声で喧嘩をしており、私は毎朝喧嘩の声で起床し、下校して家の前に来て喧嘩の声を聞きながら、だれにも聞こえないであろう「ただいま」を言って家に入る。

 

玄関の前で足が止まってしまい、立ち尽くすこともままあった。

 

 

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夕飯の邪魔をしてはならないので、呼ばれるまで静かにしている。

呼ばれたら、下へ降りていき、準備を手伝う。

夕飯の中盤から両親に不穏な空気が流れ始める。

 

 

食後父が母を攻め、母が泣き崩れるといういつもの喧嘩が始まる。

見たくないので、自室で待機しつつ、喧嘩の声を聞きながら眠りにつく。

 

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ここでは「見たくない、逃げたい」という気持ちと「助けなきゃ」というジレンマにより、自分自身の中で膨大な自責の念を作り上げていた。

その場に一緒にいてあげられないことが母に対して逃げているように思えた。

しかしその場に残って口出しをすれば、「子どもが口出しするんじゃない」と叱責された。

 

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★眠れなくて朝日を迎える恐怖

兄を拒絶できるようになったのは成長だったと思う。しかし、今度は深く眠れなくなってしまった。兄がいつ私の部屋に来るのか不安で仕方がないため、ぐっすり寝ている場合ではなかった。

また。ハマり症だったのもあり、気に入った漫画は夜中3時ころまで止められずに読んでいることもしばしばあった。

 

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両親は1階で絶え間なく喧嘩しており、2階の様子など気にも留めていなかった。

自分がここに存在しているのかも分からないほどに。

 

 

次回は、、、「母親との悲しい愛着問題」

幼少期の父の荒れ果てた姿

「父が起こした交通事故」

 

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私が5歳の時、父が交通事故を起こした。

相手の方は、亡くなってしまった。

両親は彼らの実家や、被害者のご家族の方に挨拶にいった。

 

 

この事故を通して家族の関係性が崩壊に向かっていった

 

 

父は元々大酒飲みで、ヘビースモーカーで、ギャンブルも大好きであった。 

交通事故が起きてから、父の悪い癖がさらに顕著になった。

 

 

父はしばらく車にも乗らなかったし、相当な罪悪感に苛まれていたのだと思う。

相手の方が亡くなったこともあり、サバイバーズギルトに陥ったと考えられる。

 

 

 

 

 

「両親の不仲」

私が小学校に入った頃、母と父は声を荒げて喧嘩していた。

母は布団にうずくまって大声で泣いていた

 

 

丸くなって誰もを拒絶するような母の姿はとても鮮明な記憶として残されており、今でも思い出すと大きな不安に駆られる。

 

 

父の母に対する言葉の暴力は頻繁にあった

父は母に「お前は親戚中みんなから嫌われている」「ぶた」「でぶ」と毎回言っていた

 

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兄は両親の喧嘩に対して知らぬ存ぜぬだった

私は家族で頼れる人がいなかったが、兄だけはよく面倒を見てくれていた。

 

 

お互い何でも言える関係であり、恋愛の話などもよくしていた。

 

 

両親喧嘩がヒートアップしたとき、「荷物まとめて祖母の家に避難してきな」と言うような妹想いの優しい兄だった。

 

 

 

 

 

次回は

「幼少期の後何が起きたのか、、、、。」