自殺未遂失敗した25歳の壮絶過去

自殺未遂を経験するまでの壮絶な過去を綴ります。誰かの役に立てられれば幸いです。

父親に思ったことは「死んでくれてよかった」

 

1.父の死はなぜ?

私が5歳の時、父は交通事故を起こして相手の方を死なせてしまった。

 

その罪悪感からか、父はアルコール中毒になる。

 

もちろんアルコール中毒には弊害が。

肝臓がんだったのだ。

 

しかし私は知らなかった。

 

私が「お酒飲んでいいの?」と聞くと、

父は決まって「医者は良いって言った」と答えていたので

 

私は父親が何の病気かも知らずに

余命宣告されるときに知ったのである。

 

 

私が大学生時代にバイトに励んでいた時、突然母から電話が来た。

当時の電話は細かく覚えている。

 

母「まこちゃん、まこちゃん、お父さん入院だって」

私「入院?肝臓?」

母「どうしよう、まこちゃん!」

私「知らないよ。私今からバイトだから。じゃあね」

母「待ってまこちゃん!…お医者さんからご家族にお話がって…」

私「…ほう。わかった、一旦病院向かう。」

 

2.医者からの余命宣告

病院に着くと、何本ものチューブに繋がれてベッドに横たわる父親がいた。

 

母に様子を聞くと、肝臓がんだという。

 

母が父に語り掛けるように「お父さん、まこちゃんが来てくれたわよ」というと、父は意識朦朧の中「まこ、、、?だれ、、、?」と呟いた。

 

 

私は無駄に落ち着いていて、

 

「あぁ、これはもうだめそうだな」とか

「葬式代うちにあんのかな」とか

「介護ってなったら誰が面倒みるんだろうな」とか

 

頭の中で考えていた。

 

 

しばらくすると医者から家族が呼ばれた。

診察室に行くと、医者から衝撃の言葉を伝えられる。

 

 

医者「もって2~3日かと思います。」

 

 

その瞬間椅子に座っていた母が椅子から崩れ落ちた。

兄は茫然としていて頼りにならないので私が抱きかかえた。

 

よろよろと歩く母を支えながら、ロビーに行き家族会議が行われた。

(とはいえ母は泣いていてどうしようもないので私が話を進めるしかなかった)

 

親族一同や職場への連絡を行い、

皆様に最期のお別れをしていただいたあと。

 

医者の言う通り翌日、父は息を引き取った

 

 

3.「死んでくれてよかった」

悲しいことに、死んだ父親に私が思ったことはこの一言だった。

 

あまりにも家族に迷惑をかけ、母親に暴力をふるい、近所からも白い目で見られる状況をつくったこの男に何の情をかければよいのか、、、

 

何の感情もわかなかった。

 

「これでやっと解放される」

 

そんなことを思いながら息を引き取った父を眺めていた。

 

母や兄、周りの親戚たちがなぜ泣いているのか、私には1%も分からなかった。

父のために泣いているのか?

自分のために泣いているのか?

その場の雰囲気に合わせて泣いているのか?

全く分からず自分だけおかしいのだろうなと思うしかなかった。

 

だけどやっぱりどうしても、

「ありがとう」や「ごめんね」は私の心の中には一切なかった。

 

「つらい」でも「悲しい」でもなく「やっと自分の人生を生きられる」という希望に満ち満ちていたのである。

 

 

少し違うとは思うが、介護疲れの人々が極限状態まで介護を行い、被介護者を亡くしたときに感じるものと近いのかもしれないな、と思う。

 

実際、我が家での父の尻拭いは介護に近かった気がする。

酔って家中でおしっこをする父親。

暴言を吐きながら外で寝ている父親。

酒やたばこのごみを近所に捨ててくる父親。

これらの尻拭いをしていたのは、母と私だった。

 

そんな父親が死んだところで娘は何を思えばよかったのだろうか。

分かる人がいるなら教えてほしい。

 

6歳のころから家族に気を遣い、

散々な父親の尻拭いと精神疾患の母親の顔色をうかがう事ばかりしてきた。

その片方がやっと消えたのだ。

 

これは私にとってはとんでもなくめでたいたいことだった。

 

父親が死んで世界が明るく見えたのだから。

 

とまあこんな経緯で「死んでくれてよかった」と思ったのだけど、

実はその後色々、本当に色々あって死んだ父親と和解することになる。

 

そのお話はまた今度。

 



 

次回:死んだ父親との和解