自殺未遂失敗した25歳の壮絶過去

自殺未遂を経験するまでの壮絶な過去を綴ります。誰かの役に立てられれば幸いです。

DVが原因で友達関係が崩れ小4で始まったリストカット

★友達に対する攻撃(支配欲・優越感)

 

 

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一番仲がいい子からの裏切り。

 

ある日先生に呼ばれて、「あの子はお前が怖いから一緒にいると言っていたぞ」と言われた。

 

 

確かにその子がビビっている姿を見るのが何とも言えない優越感や独占欲、支配欲で満たされていたので、実際そうだったのだと思う。相当攻撃性が顕著に表れていた。

しかし、本当に怖がっているとは思っていなかったので、当時の私にはショックであった。

 

自分の思い通りになる人間が欲しかった。

あと、自分と同じように苦しむ人間を見たかった。

 

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また、他のクラスの子と「〇〇をいじめよう。いじめ計画を立てよう」と相談していたこともあった。

楽しくてしょうがなかった。

 

 

相手が顔を歪める瞬間がたまらない快感だった。

 

 

 

精神的に追い込み、苦しい思いを味わわせたかった。

 

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★家庭崩壊から始まったリストカット自傷行為

 

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幼少期から、怒られたり悔しかったりすると、自傷行為を起こす癖があった。

舌を噛んで血が出たこともあった。

指に爪を食い込ませて、15年ほど経った今でも消えない跡がある。

 

 

小学校4年生頃からリストカットが始まる。

引き金は毎回両親の喧嘩であった。

 

 

 

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自分自身が怒られた時や、責められたときにリストカットをすることはなかった。

自分にはどうしようもない大きな問題を、抱えきれなくて痛みで何もかも忘れたかった。

 

 

 

 

「これは普通の家庭にあること」

みんなこんな苦しい思いをしながら頑張って生きているんだ

カンボジアの子に比べれば、雨風しのげる屋根と壁があるだけでありがたいと思わなければならない。」

「お母さんがあんなにつらそうなのに、お父さんはなんでそんなに悪口を浴びせ続けられるの?」

「私には何もできない、お母さんごめんね。」

 

 

そんな思いが頭の中にぱんぱんに詰まっていた。

 

 

 

あと、血を見るのが好きだった。

流れていく血を見て、「ああ、私頑張って生きているなあ」という実感を得ていた。

 

 

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お母さんもお父さんも、喧嘩ばっかりしていたから、私の存在覚えていてくれているかな?と不安になることはよくあった

というか、常にそうだった。

 

私たち子どもは、彼らの世界に存在していないかのようだった。

もっと構ってほしかった。

 

 

ただ、彼らが自分たちのことに必死になって生きているのも理解せざるを得なかった。

お父さんも頑張っている。

お母さんも頑張っている。

誰も悪くない。

 

 

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だけど。

私のことも見て、私ここにいるよ。

私ちゃんと存在しているよね?

私生きているよね?

まだ死んでいないよね?

 

私は誰の世界で誰と共に生きているのか、わからなかった。

誰も私のことを必要としていると思えなかった。

 

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というか、存在していていいのか不安で仕方なかった。

 

 

 

 

 

次回は、、、「毒担任による絶望的な指導」