自殺未遂失敗した25歳の壮絶過去

自殺未遂を経験するまでの壮絶な過去を綴ります。誰かの役に立てられれば幸いです。

まずあなたに読んでほしい自己紹介

こんにちは。

お酒と人間が大好きな大山です。

 

今回は私の自己紹介です。

ブログって、どんな人が書いているのか分からないと、

読む気が失せますよね、分かります。笑

 

そこで、今回は私の今までの人生について

一気見できる記事を書こうと思っています。

 

 

現在25歳女性。

幼少期被虐待経験あり、夜職経験あり、うつ病闘病中。

 

人生山あり谷ありとはよく言うけれど、

私には一度だけどん底を経験したことがありました。

 

たった一度の絶望は自殺に失敗した時。

「なんで死なせてくれなかったんだろう」

素直にそう思っていました。

 

 

まずは自殺について語るために欠かせない、私の幼少期について遡っていきます。

親から虐待を受けていて、実兄からは性的暴力を受けていました。

不眠が続き、学校でも問題行動が多い子どもでした。

 

小中学校では、成績は良いものの態度が悪く、呼び出されることも数えきれないほどありました。

 

高校時代は、母親がパニック障害になったことで、家事に追われる毎日。

不登校を経験して、学校の先生を目指すことになります。

 

国公立大学に入学し、教員免許を取得。

大学生の時に長年アルコール中毒だった父親が亡くなります。

 

実家に対して堪忍袋の緒が切れて一人暮らしを始めました。

金銭的問題から、夜職に飛び込んで稼ぎ続ける毎日。

精神的不安定から、セックス中毒にもなりました。

 

その後大学院に進み、心理学を研究。

 

大学院卒業後、夢だった国公立の教員になります。

教育担当の教員からのパワハラにより、社会人3か月目でうつ病に。

 

休職して2か月後、人生で一番の絶望が訪れます。

教員だった時のことを思い出して、突発的に自宅のマンションから飛び降り。

ODした状態で飲酒し、意識が朦朧とした状態でした。

 

「今25歳で、こんな人生があと何十年も続くならもういいかな。

十分頑張ったし、楽しかったし、どこか遠くに飛んでいきたいな。」

 

そんなことを思いながら、マンションの階段から空を眺めていました。

ふと真下の駐車場が目に入って、そのまま気づいたらコンクリートの上にいたのです。

身体中が痛くて動けませんでした。

 

手術が終わって術後の痛みの中、

「なんで死なせてくれなかったんだろう。」

「まだ頑張らないといけないの」

ふわふわした気持ちのまま遠くに行くことが出来なかったことに対して、

安堵の気持ちと後悔の気持ちと絶望と、

何とも言えない真っ黒な海の中にいるような感覚でした。

 

自殺に失敗した後、痛みがなくなってきて、

身体が健康になるにつれて、自分自身の特性とやっと向き合い始めることになります。

人に気を遣いすぎること、愛着に問題があること、自我が強いこと。

色んな自分の一面に気付くことなりました。

 

休職して半年後、

社会人として生きることに対して、少しずつ希望を持ち始めました。

教育とは全く違う畑の仕事をしていく中で、

仕事に対して向き合い始めます。

 

様々な逆境体験を通して、

「本当に自分を大切にした生き方を実現したい」

と思えるようになりました。

 

心臓, 愛, ピンク, 友情, バレンタインの日, 日にち, ハグ, ハッピー

 

 

同じような苦しい思いをしている人に届いてほしい。

一人じゃないよって。

そんな思いを込めて、このブログを綴っていきたいと思います。

父親に思ったことは「死んでくれてよかった」

 

1.父の死はなぜ?

私が5歳の時、父は交通事故を起こして相手の方を死なせてしまった。

 

その罪悪感からか、父はアルコール中毒になる。

 

もちろんアルコール中毒には弊害が。

肝臓がんだったのだ。

 

しかし私は知らなかった。

 

私が「お酒飲んでいいの?」と聞くと、

父は決まって「医者は良いって言った」と答えていたので

 

私は父親が何の病気かも知らずに

余命宣告されるときに知ったのである。

 

 

私が大学生時代にバイトに励んでいた時、突然母から電話が来た。

当時の電話は細かく覚えている。

 

母「まこちゃん、まこちゃん、お父さん入院だって」

私「入院?肝臓?」

母「どうしよう、まこちゃん!」

私「知らないよ。私今からバイトだから。じゃあね」

母「待ってまこちゃん!…お医者さんからご家族にお話がって…」

私「…ほう。わかった、一旦病院向かう。」

 

2.医者からの余命宣告

病院に着くと、何本ものチューブに繋がれてベッドに横たわる父親がいた。

 

母に様子を聞くと、肝臓がんだという。

 

母が父に語り掛けるように「お父さん、まこちゃんが来てくれたわよ」というと、父は意識朦朧の中「まこ、、、?だれ、、、?」と呟いた。

 

 

私は無駄に落ち着いていて、

 

「あぁ、これはもうだめそうだな」とか

「葬式代うちにあんのかな」とか

「介護ってなったら誰が面倒みるんだろうな」とか

 

頭の中で考えていた。

 

 

しばらくすると医者から家族が呼ばれた。

診察室に行くと、医者から衝撃の言葉を伝えられる。

 

 

医者「もって2~3日かと思います。」

 

 

その瞬間椅子に座っていた母が椅子から崩れ落ちた。

兄は茫然としていて頼りにならないので私が抱きかかえた。

 

よろよろと歩く母を支えながら、ロビーに行き家族会議が行われた。

(とはいえ母は泣いていてどうしようもないので私が話を進めるしかなかった)

 

親族一同や職場への連絡を行い、

皆様に最期のお別れをしていただいたあと。

 

医者の言う通り翌日、父は息を引き取った

 

 

3.「死んでくれてよかった」

悲しいことに、死んだ父親に私が思ったことはこの一言だった。

 

あまりにも家族に迷惑をかけ、母親に暴力をふるい、近所からも白い目で見られる状況をつくったこの男に何の情をかければよいのか、、、

 

何の感情もわかなかった。

 

「これでやっと解放される」

 

そんなことを思いながら息を引き取った父を眺めていた。

 

母や兄、周りの親戚たちがなぜ泣いているのか、私には1%も分からなかった。

父のために泣いているのか?

自分のために泣いているのか?

その場の雰囲気に合わせて泣いているのか?

全く分からず自分だけおかしいのだろうなと思うしかなかった。

 

だけどやっぱりどうしても、

「ありがとう」や「ごめんね」は私の心の中には一切なかった。

 

「つらい」でも「悲しい」でもなく「やっと自分の人生を生きられる」という希望に満ち満ちていたのである。

 

 

少し違うとは思うが、介護疲れの人々が極限状態まで介護を行い、被介護者を亡くしたときに感じるものと近いのかもしれないな、と思う。

 

実際、我が家での父の尻拭いは介護に近かった気がする。

酔って家中でおしっこをする父親。

暴言を吐きながら外で寝ている父親。

酒やたばこのごみを近所に捨ててくる父親。

これらの尻拭いをしていたのは、母と私だった。

 

そんな父親が死んだところで娘は何を思えばよかったのだろうか。

分かる人がいるなら教えてほしい。

 

6歳のころから家族に気を遣い、

散々な父親の尻拭いと精神疾患の母親の顔色をうかがう事ばかりしてきた。

その片方がやっと消えたのだ。

 

これは私にとってはとんでもなくめでたいたいことだった。

 

父親が死んで世界が明るく見えたのだから。

 

とまあこんな経緯で「死んでくれてよかった」と思ったのだけど、

実はその後色々、本当に色々あって死んだ父親と和解することになる。

 

そのお話はまた今度。

 



 

次回:死んだ父親との和解

大学受験を終えてレールに乗った瞬間に生じたお金問題

こんにちは。 お酒と人間が大好きな大山です。

 

★大学受験を終えて国公立大学に入学

憧れの教員になるために国公立大学教育学部に入学。

無事に入学して、やっと親族や親から認めてもらえると思っていた。

 

入学が決まって母から言われた衝撃的な言葉があった

 

「うち、大学行かせられるお金ないよ。」

 

あまりの突然さに声が出なかった。

兄は私立の大学に行っているのに、、、。

 

頭の中はハテナでいっぱいだった。

 

高校生で受験勉強をしながら学校に許可を取り

アルバイトで稼ぎながら大学の入学金を手にした。

 

奨学金という手もあったが、

兄が親族から奨学金を借りることはできなかった。

 

兄が留年したおかげで親族には保証人にもなってもらえなかった。

 

じゃあどうするべきか。

教員になるために大学に行きながら働くしかない。

 

最初は居酒屋のバイトをしていた。

なんとか授業料は賄えるようになってきていたが、

生活リズムはどんどん昼夜逆転し、大学も欠席がちに。

 

 

「なんで私は勉強するために大学に来たのにバイトしているんだろう」

 

そこでたまたま先輩にバイトに誘われる。

 

「いやだったらやめてもいいから!とりあえず私辞めるから穴埋めお願いできない?」

 

時給1200円で好条件だったので断る理由もないかと思い、お店に行ってみた。

 

 

実際にバイト先に行ってみたらスナックだったのだ。

しかし会員制で労働時間も17時~22時

まあ怪しくないか。と思い働き始める。

 

運がよかったのか、ママが母親のように面倒を見てくれた。

 

ママとは一回だけ大喧嘩して大泣きしたが、

人とのかかわり方や話し方、服装やお酒の飲み方までとても丁寧に教えてもらった。

 

その後、お金稼ぎの効率化を求めてキャバクラとスナックを兼業。

 

 

 

さらに大学院に進む生活費と授業料を稼ぐために

デリヘルで1年間働く。

 

デリヘルで400万稼ぎ、夜職から足を洗うことになる。

 

夜職編はかなり濃い内容になりそうなのでまた今度、、、。

 

★テニスサークルに入るがお金の価値観が合わずに遠征費に苦しむ

元々興味があったテニスサークルの勧誘を受けて、友達と入る。

 

サークルでは遠征に度々行っていたが、

毎回遠征費は交通費等で5000円ほど回収されていた。

 

5000円稼ぐのにバイトを増やさなくてはいけなくなって、ある時遠征を断った。

 

サークルの先輩や同期からは総攻撃。

 

「そんなにお金ないの?」

 

まあ実家から毎月15万円仕送りをもらって

家賃も払ってもらっているような大学生たちが大半だったので、

 

私の「明日のご飯も食べられないかもしれない」という感覚は

最後まで分かってもらえなかった。

 

そしてもう一つ、私がお金に困窮した理由があった。

 

★母親との一人暮らし騒動

母親に「お金は一銭も出さなくていいから一人暮らしをさせてほしい。」と言って話し合いをした。

 

母親は驚くほどのヒステリーを起こす。

 

「あんたはどうせ私のことを捨てていくんだ!あんたなんか子どもじゃない!」

「そんなに私が邪魔か!」

「私のことを支えてくれるって言った言葉を信じていたのに!」

 

あまりにも心無い言葉にびっくりした。

悲しくもあった。

 

 

私の心は安全だと思えない家で過ごすことがもう耐えられなかったので、

一刻も早く家を出たかった。

 

私は家にいると片耳が聞こえなくなるまでに

身体症状にも異常が出ていた。

 

しかし、母はパニック障害を持っており

私が家を出ることで自殺未遂すら起こしかねない様子だった。

 

なので、母の同意を得ずに家を出る選択肢は考えられなかった。

 

今思うと相当な共依存関係だったと思う。

 

結果的に母を説得して私は家を出た。

 

心の安全は担保されたが、お金の問題は留まるところを知らなかった。

 

 

 

次回:父の死

 

 

 

母がパニック障害になった結果、新たに私に覆いかぶさった○○障害

人の目をまっすぐ見れないことを指摘してきた音楽の先生

高校3年生になって、面接指導を受ける機会があった。

センター利用推薦での受験を考えており、色んな先生に面接指導をしてもらった。

 

その中で、音楽教員の少し変わった先生に指導してもらったとき、

「君はどこを見ているんだい?」

と聞かれた。

何を言っているのか分からなかった。

 

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そのうちに、「お家でなんかある?」と聞かれた。

「はい、まあ。」となんとなく概要説明すると、

「家庭ぐちゃぐちゃじゃーん!」と笑われた。

 

その反応があまりにも軽くて、私にとっては嬉しいものだった。

こんな話を笑ってくれる人がいるのかと。

 

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「なぜわかったのですか?」と聞くと、

「学生の悩みって、勉強か家庭か友達関係だと思うんだよねー。君の場合この高校にいるから勉強は問題ないでしょ?友達とよくいるのも見かけるし、つまり家庭かなーって!」

と笑いながら言っていた。

 

 

 

ちなみに当時付き合っていた彼氏についても質問され、淡々と答えると、

「それって彼氏じゃないよー!中堅ハチ公じゃーん!」と言われた。

 

何か私の中で引っかかっていたものが解明されて

先生の言葉に対して自分なりに考え、納得したうえで彼氏に別れを告げた。

すっきりした。

 

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★「母のパニック障害

ある日、夜中寝ていると、1階で寝ていたはずの母がものすごい勢いで2階に駆け上がってきた。

母は父の部屋に入り、ヒステリックに何か言いながら父を叩いたり蹴ったりしていた。

 

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父がいつものように酔って暴れて、2階のトイレを詰まらせたことにより、水が溢れてきて、トイレの外まで水浸しになっていた。

 

その水が1階のトイレまで浸み込んで、母が寝ている部屋の隣にあるトイレの天井から水が滴り落ちてきている状態であった。

 

寝ていて突然水が滴り落ちる音が聞こえる恐怖と、

必死に守ってきた家が物理的に壊れてしまうという不安からヒステリックになっていたのだと考えられる。

 

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父に一通り怒りをぶつけた後、母は自室に帰り、布団にくるまって丸くなりながら、「お家壊れちゃったああああぁ、お家、お家壊れちゃうようおおぉぉ」と泣き叫んでいた。

 

近くによって背中をさすろうとしたが、「触らないで!来ないでえええぇ」というので、ただ近くにいることしかできなかった。

 

とりあえずトイレの水を拭いたり、一階トイレの水が滴り落ちているところにタオルを置いたり対処をして、泣き叫ぶ母を見守っていたのを覚えている。

 

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泣き終わると落ち着いたが、私の心は大分ざわざわしていた。

それからは、いつ母のパニックが起こるか分からないという恐怖から、ほとんど深く眠れなくなった。

 

いつでも何かあったらすぐに動いてあげなければ。

 

すぐに駆け付けられるようにしていなければ。

 

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寝ていても、雨が降り出す音で起きるようになった。

完全に不眠症だった。

 

母はその後心療内科に通いだした。

薬を服用して、気持ちを落ち着けるようにしていた。

 

心療内科から、「旦那さんを連れてきてください」と言われたこともあったそうだが、状況は大して変わらなかったことしか覚えていない。

 

 

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介護疲れで鬱になった時、母が私にかけた衝撃的な言葉

★介護疲れから鬱になった高校3年生

母方の祖父が亡くなった。

 

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母のメンタルが回復してきたころ、私はうつ状態になった。

学校に行くことも、ご飯を食べることも、トイレに行くことも、目玉を動かすことさえ面倒くさくなっていた。

毎日リビングの窓際に座って窓に寄りかかりながら、庭の木を眺めている一日だった。

 

何も思わなかった。

学校に行かなきゃとも、何かしなくては、とも。

ただただ全てが面倒くさかった。

今日を生きていることが、億劫だった。

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そうして毎日ただ木を眺め続けていたある日、母が私の隣で泣き出した。

 

ごめんねえ。

まこちゃんがこんな風になっちゃったのはお母さんのせいだよね。

こんなお母さんでごめんね。」

 

 

木を眺める娘の隣で母が泣くという、このとてもシュールな絵面が何日か続いたとき、

「この泣いている人を泣き止ませるために私は学校に行かなければならない。」

と思うようになった。

 

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やっと体が動いて、学校に復帰することができた。

クラスに行ったとき、クラス内は受験一色で、みんな休み時間も勉強しているような環境だったので、逆に馴染みやすかった。

タイミングに感謝。

 

母のおかげで学校に復帰できたし、国公立の大学にも無事に合格できた。

 

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だけど、もう少しきちんと自分に向き合って、気持ちを整理して、十分エネルギーを補充してから動き出しても良かったんじゃないかな、と今は思える。

そういう時間も大事だと思えるようになった。

 

というか、今も欲しい。

追われる生活ではなく、何かを追う生活の中で、

自分と向き合う時間をきちんと作り出してあげられる生活がしたい。

 

ほんの少し、人生をお休みする時間を定期的に作ってあげる。

 

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★鬱になる前に気付いてくれた人は保健室の先生

うつ状態になる前だったのか後だったのかは正確に覚えていないが、

「お腹が痛い」

といって保健室に行くことがよくあった。

授業中でも耐えられないほどのキリキリとした痛みで、トイレに行っても便が出るわけでもなくつらかったのを覚えている。

 

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保健室の先生に家庭生活のことを聞かれた。

まあいいかと思って、すべて話した。

 

カウンセリングを勧められた。

 

なぜかこの先生のことも、話した内容のことも、何も覚えていない。

カウンセリングに通っていたことだけは覚えているのだが。

不思議。

 

 

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それだけ当時の私にとってつらい状況で、

忘れなければ生きていけなかったのだと思う。

 

 

 

 

次回は、、、「母がパニック障害になった結果、新たに私に覆いかぶさった○○障害」

 

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高校3年で祖父が死にさらに心の闇が広がった結果…

 

ブラック企業にいるかのような生活を送った日々

高校3年生の時、母方の祖父が亡くなった。

亡くなる半年前ぐらいから、母が祖父の介護等で家を空けることが多かった

帰ってこない日も時々あった。

 

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家事は私がやらざるを得ない状況だった。

父も兄も何もやらないので、掃除洗濯ご飯すべてやっていた。

 

当時私は受験期の高校3年生で、特進クラス。

国公立大学に入って親を安心させたいという気持ちから、どんなに調子の悪い時でも、常に学年10位以内はキープしていた。

度重なる模試や定期試験の勉強も頑張っていた。

 

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部活は吹奏楽に所属していた。

祖父の介護が始まったのは、吹奏楽部が命を懸けて挑戦するコンクールの時期だった。

朝練もあり、平日も土日も遅くまで練習していた。

パートリーダーだったため、練習でも合奏でも手を抜くことはできなかった。

 

この頃の生活は今でも思い出せないほど目まぐるしかった。

 

 

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朝4時半頃起きて、シャワーを浴びる。

自分のお弁当を作りながら家族の朝ご飯を作る。

家の雨戸を開けながら家族を起こしに行く。

 

朝練に出掛ける。

授業を終えると8時近くまで部活。

部活が終わって8時半ころ帰宅すると洗濯を始めて、その間に夕飯を作る

洗濯が終わるまでに食べ終えて、洗濯物を干す。

洗濯干しが終わったら、

9時10時から受験勉強を始めて夜中の2時ころまでやって寝る。

 

 

こんな生活が18歳で半年も続いた。

 

 

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いつ寝ていたのだろうと不思議に思うが、そういえばどんなに短い休み時間でも全力で寝ていた気がする。

 

忙しすぎて、疲れたとか、辛いとかの感情は一切なかった。

 

ただ、一度だけ部活のパート練でキレたことがあった。

いつもみんなでふざけているパート練が突然うっとおしく感じた。

時間を有効に使わない仲間が許せなかった。

「練習やる気ないなら私帰っていい?」と。

いつも絶対怒らない私がキレたので固まっていたのを覚えている。

皆に対してほんとごめんと思いながらその後トイレで一人泣いて、何事もなかったかのように合奏に参加した。

 

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★ここでやっと救済の手がのびてくる

 

ある日、高校で三者面談があった。

母と私と担任の3人だった。

私の勉強状況の報告や受験に関する担任の見解などの話が終わると、担任が思わぬことを口にした。

 

「最近やつれた?」

「寝てる?」

「ご家庭で最近何かありましたか?」

 

私は何も答えられなかった。

相変わらず、母にとって1ミリでも不利になることは何も言いたくなかった。

 

母が担任の質問に答えた。

 

「最近私の父が亡くなったので、この子が家事をやってくれていますね。」

 

その時やっと自分が疲れていることを認知できたように思う。

 

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確かにその頃の写真を見ると、足と手がものすごく細いのにお腹が出ていた。

不思議な体型だったが、自分では「お腹が出ているから私はまだ太い」という固定概念を持っていた。

 

あ、そうだ。その頃あまりたくさん食べられなかった。

たくさん食べなくても、お腹がすかなかった。

なんでだろう、、、?

 

担任が気付いてくれなかったら、

おそらく何も感じることなくストレスだけが溜まっていっていた。

 

 

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高校3年の時の担任には本当に感謝している。

 

 

次回は、、、「介護疲れで鬱になった時、母が私にかけた衝撃的な言葉」

壊れてしまった信頼関係と身体の異変が心に与えた影響は…

突発性側弯症になってさらに執着した「普通であること」

中学に入る時に、「普通に来ているのにスカートの丈が左右で違う。」ということに気付き、整骨院に行った。

紹介状を渡され、専門の医者に行ったところ、突発性側弯症と診断された。

 

 

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幸い手術までは至らなかったが、中学校3年間、石膏で作ったコルセットを付けて生活するよう言われた。

コルセットは胸から腰に掛けて作られた固い性質のものであり、とても隠し通せるものではなかった。

授業の終礼でお辞儀をすると、コルセットの先端が制服の上からわかってしまって、友達に「なにそれ?」と言われることも多かった。

 

体育の授業では、毎回着替えの時に周りの子に見えないように着替えていたし、着替えをみんなと同じ速さで終わらせることが困難だった。

 

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体育の先生は、「無理しなくていいよ。少し遅刻しても大丈夫だから。」と言ってくれていたが、『みんなと同じ』が良かった。

普通であることに固執していた。

 

隠す気はなかったが、

私の病気のことを話したところで誰がうれしい気持ちになるだろう?

誰の得になるだろう?

どうにもならないし、誰もいい気持ちにならないなら話す必要もない。」

と思っていた。

 

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本当はすごく面倒くさかったし、煩わしかったし、嫌だった。

同じ病気を検索したが、あまり見つからなかったのもまた悲しかった。

なぜ私が?こんな病気に?という思いが強かった。

 

 

家庭環境の普通じゃない状況と相まって、さらに「普通」に執着するようになった

悲観的になっても仕方がないので、気持ちに蓋をしていたように思う。

 

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★信頼関係が壊れて地に落ちた心

 

中3になって、なぜか真面目になった。

受験を控えていたこともあり、「真面目の方が得だ」と思い始めた。

今思うとここの方向転換は自分でも謎のままである、、、。

 

 

そんな矢先、人生で2度目の友達の裏切りに遭う。

 

 

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友達B子が、私が好きだった1つ上の先輩と

隠れて付き合っていたという。

一番仲の良かった子なので、私は何も知らずにあけすけに話していた。

 

 

先輩が卒業する日に、先輩に

「第二ボタンください」

と言うと、

「第二ボタンはあげたい子がいるから第三ボタンでいい?」

といわれ、高望みもしていなかったのでうれしい気持ちでもらった。

 

後日、他の友達C子.D子から、

「本当はね、第二ボタン、B子がもらったんだよ。聞いてるこっちがうんざりするぐらい嬉しそうに自慢してきたよ。」

と聞いた。

素直にショックだった。

何も言ってくれなかったこと、陰で私のことを嘲笑っていたこと。

 

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正直にその子に

「話がしたい」

と言った。

 

結局電話で話をした。

ショックだった件について話してくれた友達C子.D子からは、

「私たちが言ったってB子に言わないでね」

と言われていたので、名前は伏せて事実を確認した。

 

今思えば倫理的配慮をしていた私偉いな。(⌒∇⌒)

 

電話では、B子が泣いて謝ってくれたので一応許したかったが、心の整理が追い付かなかったので、少し距離を置きたいとだけ伝えた。

 

 

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ここで想像もできない緊急事態が起こる、、、。

 

 

次の日学校に行くと、私一人だけハブられていた。

周りの雰囲気が昨日とは全く違った。

 

 

どうやら私を裏切ったB子は、私との電話が終わった後、泣きながら他の男の子に電話をしてあることないこと言っていたらしい。

その電話を受けた男の子がまた影響力のある男の子だったので、噂が一瞬で広まったと。

 

噂の内容がこちら⇓

「とりあえずまこちゃんは最低。

「一番仲の良い子のB子に暴言はいて泣かせた。」

 

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メールでもいろんな人から「死ね」とか「謝れ」とかたくさん言われた。

 

さすがにここまで噂が広まってしまっては打つ手なしだと判断し、私は黙秘し続けた

「私が真実を知っているから大丈夫。」

必死でそう思っていた。

 

 

 

だた一番しんどかったのは、私を裏切った彼女が泣きながら電話したのが、当時私の好きな男の子であったことだった。

好きな人から毎日

 

「死ね」

「お前が悪い」

「お前はゴミだ」

 

等、メールが来るのはさすがに堪えた。

 

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つらかった。

誰も味方がいなくて、多分今から全てを話しても誰も信じてくれないだろうという状況が。

 

ハブにされて3か月くらいたった頃、

一人だけ、「まこちゃんはそんなことしないよね?」と言ってくれた女の子がいた。

素直に嬉しくて、すべて話した。

 

 

その子から、

「とりあえず、好きな人からそんなメールが来るのはつらいだろうから、私がその男の子に全部話してあげるよ!」

と言われた。

 

私は好きな人を信頼している友達に取られた惨めさと、もうひっくり返せない状況を考えて、「あなたさえ分かっていてくれればそれでいいよ」と伝えた。

 

 

 

 

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次回は、、、「高校3年で祖父が死にさらに心の闇が広がった結果…