高校3年で祖父が死にさらに心の闇が広がった結果…
★ブラック企業にいるかのような生活を送った日々
高校3年生の時、母方の祖父が亡くなった。
亡くなる半年前ぐらいから、母が祖父の介護等で家を空けることが多かった。
帰ってこない日も時々あった。
家事は私がやらざるを得ない状況だった。
父も兄も何もやらないので、掃除洗濯ご飯すべてやっていた。
当時私は受験期の高校3年生で、特進クラス。
国公立大学に入って親を安心させたいという気持ちから、どんなに調子の悪い時でも、常に学年10位以内はキープしていた。
度重なる模試や定期試験の勉強も頑張っていた。
部活は吹奏楽に所属していた。
祖父の介護が始まったのは、吹奏楽部が命を懸けて挑戦するコンクールの時期だった。
朝練もあり、平日も土日も遅くまで練習していた。
パートリーダーだったため、練習でも合奏でも手を抜くことはできなかった。
この頃の生活は今でも思い出せないほど目まぐるしかった。
朝4時半頃起きて、シャワーを浴びる。
自分のお弁当を作りながら家族の朝ご飯を作る。
家の雨戸を開けながら家族を起こしに行く。
朝練に出掛ける。
授業を終えると8時近くまで部活。
部活が終わって8時半ころ帰宅すると洗濯を始めて、その間に夕飯を作る。
洗濯が終わるまでに食べ終えて、洗濯物を干す。
洗濯干しが終わったら、
9時10時から受験勉強を始めて夜中の2時ころまでやって寝る。
こんな生活が18歳で半年も続いた。
いつ寝ていたのだろうと不思議に思うが、そういえばどんなに短い休み時間でも全力で寝ていた気がする。
忙しすぎて、疲れたとか、辛いとかの感情は一切なかった。
ただ、一度だけ部活のパート練でキレたことがあった。
いつもみんなでふざけているパート練が突然うっとおしく感じた。
時間を有効に使わない仲間が許せなかった。
「練習やる気ないなら私帰っていい?」と。
いつも絶対怒らない私がキレたので固まっていたのを覚えている。
皆に対してほんとごめんと思いながらその後トイレで一人泣いて、何事もなかったかのように合奏に参加した。
★ここでやっと救済の手がのびてくる
ある日、高校で三者面談があった。
母と私と担任の3人だった。
私の勉強状況の報告や受験に関する担任の見解などの話が終わると、担任が思わぬことを口にした。
「最近やつれた?」
「寝てる?」
「ご家庭で最近何かありましたか?」
私は何も答えられなかった。
相変わらず、母にとって1ミリでも不利になることは何も言いたくなかった。
母が担任の質問に答えた。
「最近私の父が亡くなったので、この子が家事をやってくれていますね。」
その時やっと自分が疲れていることを認知できたように思う。
確かにその頃の写真を見ると、足と手がものすごく細いのにお腹が出ていた。
不思議な体型だったが、自分では「お腹が出ているから私はまだ太い」という固定概念を持っていた。
あ、そうだ。その頃あまりたくさん食べられなかった。
たくさん食べなくても、お腹がすかなかった。
なんでだろう、、、?
担任が気付いてくれなかったら、
おそらく何も感じることなくストレスだけが溜まっていっていた。
高校3年の時の担任には本当に感謝している。
次回は、、、「介護疲れで鬱になった時、母が私にかけた衝撃的な言葉」