介護疲れで鬱になった時、母が私にかけた衝撃的な言葉
★介護疲れから鬱になった高校3年生
母方の祖父が亡くなった。
母のメンタルが回復してきたころ、私はうつ状態になった。
学校に行くことも、ご飯を食べることも、トイレに行くことも、目玉を動かすことさえ面倒くさくなっていた。
毎日リビングの窓際に座って窓に寄りかかりながら、庭の木を眺めている一日だった。
何も思わなかった。
学校に行かなきゃとも、何かしなくては、とも。
ただただ全てが面倒くさかった。
今日を生きていることが、億劫だった。
そうして毎日ただ木を眺め続けていたある日、母が私の隣で泣き出した。
「ごめんねえ。
まこちゃんがこんな風になっちゃったのはお母さんのせいだよね。
こんなお母さんでごめんね。」
木を眺める娘の隣で母が泣くという、このとてもシュールな絵面が何日か続いたとき、
「この泣いている人を泣き止ませるために私は学校に行かなければならない。」
と思うようになった。
やっと体が動いて、学校に復帰することができた。
クラスに行ったとき、クラス内は受験一色で、みんな休み時間も勉強しているような環境だったので、逆に馴染みやすかった。
タイミングに感謝。
母のおかげで学校に復帰できたし、国公立の大学にも無事に合格できた。
だけど、もう少しきちんと自分に向き合って、気持ちを整理して、十分エネルギーを補充してから動き出しても良かったんじゃないかな、と今は思える。
そういう時間も大事だと思えるようになった。
というか、今も欲しい。
追われる生活ではなく、何かを追う生活の中で、
自分と向き合う時間をきちんと作り出してあげられる生活がしたい。
ほんの少し、人生をお休みする時間を定期的に作ってあげる。
★鬱になる前に気付いてくれた人は保健室の先生
うつ状態になる前だったのか後だったのかは正確に覚えていないが、
「お腹が痛い」
といって保健室に行くことがよくあった。
授業中でも耐えられないほどのキリキリとした痛みで、トイレに行っても便が出るわけでもなくつらかったのを覚えている。
保健室の先生に家庭生活のことを聞かれた。
まあいいかと思って、すべて話した。
カウンセリングを勧められた。
なぜかこの先生のことも、話した内容のことも、何も覚えていない。
カウンセリングに通っていたことだけは覚えているのだが。
不思議。
それだけ当時の私にとってつらい状況で、
忘れなければ生きていけなかったのだと思う。
次回は、、、「母がパニック障害になった結果、新たに私に覆いかぶさった○○障害」